本文までスキップする

President column
社長コラム

    社長ブログ 私の就職活動について

    私の就職活動について

     

    皆さんこんにちは。豊田周平です。私は日本ガイシ→専門学校の講師/技術系企業支援/中小企業基盤整備機構の施策のお手伝い(3つをいろいろ並行しながら)→ビル屋/企業支援という変わった経歴を持っています。

    今回は、もう35年も前になりますが私の就職活動についてお話をさせてください。

     

    大学のアルバイト時代

     

    大学入ってからはアルバイトで家庭教師と塾の講師をやっていました。今だから言えますが、お金持ちのご子息を教える事が多かったこともあり、最盛期は初任給より多い給料をもらっていました。

    科目は数学と理科限定で、試験の前には一緒に徹夜することも。そのおかげで30点だったのが90点まで上がったこともありました。点数がこれだけ上がると、親御さんは大喜びでボーナスをくれたり、口コミで「ええ先生いるよ」って広げてくれて紹介してくれたり。

    何人かの教え子とは未だにお付き合いがあります。

     

    この経験があったので、会社辞めた時も家庭教師をやればなんとかやっていける、という意識がありました。

     

    たぶん教えることも好きだったから、この自分には合っているのだと思いました。会社辞めて専門学校の講師ができたのも家庭教師のアルバイト 経験が活きているのかと。

    44c58b6824f9ea695f3b583e2533df42_s

    就職活動時代

     

    当時はまだ就活なんて言葉もなく、理系は4年生あるいはマスター2年の夏前ぐらいから会社訪問やOBが来て話をするなど、活動を始めていました。当時ファインセラミックブームで、セラミックの研究開発きる会社に絞り、探していました。今はどうか分かりませんが、理系の場合は学校推薦だけでほぼ入社できました。せっかくの機会なので5〜6社会社訪問しましたがいろいろ回った結果、日本ガイシに決めました。会社の規模が程よく、比較的都会にあって、セラミックスが研究開発できそうってことで最終決定。(結局はファインセラミックスの部門ではなく、エレクトロニクス関係の研究開発部門に配属されましたが。

    最後まで悩んだもう一社は、物理系は電気電子系の代わりみたいでセラミックス材料よりもデバイス開発をやらされそうだったこと、案内してくれた大学の先輩が暗かったことと、横浜といういいロケーションだったけど実は新横浜からもかなり遠かったと言う理由で候補から外し、日本ガイシに。

     

    その後サラリーマンを辞めてからは、各所から声をかけていただき専門学校の講師や顧問的立場での技術系企業支援、中小企業基盤整備機構の施策のお手伝いをさせていただきました。

     

    私の経歴を話すと、それぞれが異分野なので驚かれますが家庭教師のアルバイトやサラリーマン時代の労働組合の役員経験など、振り返ればどこかで共通点があったのではないかと。


    Œ¾‚¢‚½‚¢‚Æ‚±‚ëI