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スタッフのつぶやき

    我が社の歴史㉕~紳士服地からの撤退

    毛織物は販売と生産が分かれており綿や合繊のような流通ではありませんでした。

    大同毛織が「ミリオンテックス株式会社」を設立、メーカーの直販時代を迎えつつありました。

    東洋紡績株式会社も、流通機構の変化に対応するべく協力を当社にもとめてきました。

    そうして昭和51年(1976年)9月に設立されたのが東洋紡メンズ・ファブリックです。豊田善右衛門と芝川株式会社の柳下社長が顧問に就任しました。

    社員構成は当社からの転籍者が30%、芝川株式会社から55%、東洋紡からの出向者15%という構成で当社からは、社員、役員合わせて26名が新会社にうつりました。

    当社は紳士服業界から撤退をしたことになり。ここで明治から会社を支えてきた紳士服地も終息を迎えることになりました。

     

    この背景には、婦人服地と婦人服の製品が軌道に乗ってきたことがうかがえます。

    売上計画の半分は婦人50%、貿易50%で婦人服の売上はそのうちの20%を計画していたようです。

    昭和43年(1968年)にスタートしたニットブランドは昭和46年(1971年)にgioia(ジオイア)というブランド名にかえて、また昭和49年(1974年)には布帛のGIGI(ギギ)ブランドを発足させました。

    昭和50年(1975年)には婦人服地部を婦人服地部と製品部に分けました。

     

    昭和51年7月には「ファッションで世界をむすぶセンイの大阪」をテーマに大坂でファッションフェアが開催されました。大阪が繊維産業で盛り上がっていた時代でした。