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スタッフのつぶやき

    わが社の歴史⑪~昭和初期~

    昭和2年(1927年)になっても不況はおさまらず糸部、絨部とも苦労しました。

    絨部は前期からの持越しの在庫販売に苦心し、また日本の経済は震災手形問題に端を発した大恐慌により大混乱に陥いりました。

    人絹の価格暴落もとまりませんでした。

    糸部は豊田文三郎社長の人絹思想の大失敗と金融恐慌の余波を受けて損害を蒙り、社長文三郎氏は責任を取って辞任、廣海幾太郎氏が社長に就きました。(昭和2年6月)

    この時の社の立て直しに尽力したのが瀬口寅造氏です。

    昭和の初めの御堂筋の拡張工事で本店の西側が削られることになりました。

    昭和3年には本店を高麗橋1丁目に移し資本金を30万円に増資し、本店では絨部が営業、支店は高麗橋4丁目にあり糸部が営業をしていたようです。

     

     

     

     

    昭和4年の羅紗新聞への広告には羅紗部 高麗橋1丁目 欧州各国製絨 内地製絨問屋とあり東京市浅草に出張所との記載があり、糸部は高麗橋4丁目 洋服裁縫用(ミシン糸、穴糸、小町糸、ツレデ糸、カタン糸、シツケ糸、テープ、縁類、ミシン針 金銀モール文武官製服付属一式 手芸用、一般家庭用 金銀糸、編み物糸一式、絹綿、小町瓦斯糸類、三味琴糸類、縫い針、羽織紐、帯締め、真田紐類とあります。

    高麗橋4丁目の豊田商店?

    高麗橋4丁目にあった豊田商店の建物 御堂筋高麗橋の角にあった(昭和10年まで)