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President column
社長コラム

    社長ブログ 人生のキッカケ パート④

    人生のキッカケ パート④

     

    皆さんこんにちは。豊田周平です。今回は豊田産業株式会社を継いだキッカケ、そしてそこから大阪ビルディング協会や中小ビル経営者研究会に入った事、光の業界に戻ったキッカケをお話しさせてください。

     

    ビル屋になるキッカケ

     

    豊田産業株式会社は元々繊維業として長い歴史があり、繊維業を主としながらもビルを生保と共同で所有していました。

    繊維業をやっている頃は兄弟がやっていましたが、私がまだサラリーマン時代だった時に繊維業を辞め、それををキッカケに兄弟は退職して跡を継ぐ人がいない状態になりました。その後しばらくはの叔父が、残ったビル業だけをやっていていましたが、それも世代交代の時期が来て、私が継ぐことに。

    ここから私がビル賃貸業をやることになったのですが、当社ビルが当時築25年ほどで空調などの大規模改修を必要としていました。しかし、全くビルの素人だったので、右も左も分からず。この「分からない事」をキッカケに大阪ビルディング協会の会員の会社様に推薦をいただき入らせてもらいました。このビル協で空調改修とかだけではなくビルの運営、経営について多くの勉強させていただくことになりました。。さらには改修資金も必要で銀行とのお付き合いもゼロからスタートするので勉強をすることに。知り合いのつてで会計士さんを紹介してもらって、ここでもいろいろ教えてもらって、何とか資金調達もできて、満足のいく空調の大規模改修(集中空調→個別空調)完了しました。

    ビルの素人がいきなり継いで、さらに最初からやる事がたくさんあって大変ではありましたが、だからこそなんでも貪欲に食いつき、また、ビル屋さんとは違った視点での意見とかを遠慮なく言っていました。

    こういった部分を評価していただき、今では教えてもらう立場だった私が、技術委員と中小ビル経営者研究会の幹事をやらせてもらっています。

     

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    光の業界に戻るキッカケ

     

    3年半ほど昔の光の業界の方から特定非営利活動法人日本フォトニクス協議会(JPC)の関西支部を作ることになったので手伝ってもらえないかと声を掛けていただきました。しかし当初は「現業をやっていないので」と固くお断りさせていただきまました。

    しかし何度もお誘いを受け、くどかれて立ち上げメンバーになることを決めました。JPCの役員の方々にはサラリーマン時代のお客様やお世話になった先生方もいらっしゃいましたことも引き受けた理由の一つです。

    これがキッカケで、光エレクトロニクスやレーザーの世界にも戻ってきました。

    ここでも「おもろいやつがおる」ってことで、レーザー学会や可視光半導体レーザー応用コンソーシアムにも声を掛けていただき、メンバーあるいは役員として活動しています。

    物理に興味を持ってから大学で学び、日本ガイシで光エレクトロニクス関係の研究開発だけでなく、海外赴任や労働組合、そしてサラリーマンを辞めた後は非常勤講師、企業のお手伝い、そしてビル屋、JPCの理事などありがたい事にいろいろなキッカケがあって活動の幅がどんどん広がっています。

    今後もキッカケがあればさまざまな事にチャレンジしてくので、よろしくお願い致します!

     

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