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スタッフのつぶやき

    わが社の歴史番外編 ~豊田文三郎と愛珠幼稚園①~

    船場の商人でもあり、学者でもあった山片蟠桃の屋敷跡に建設された愛日小学校。土地だけでなく、蔵書なども一緒に寄贈されたそうです。その文庫は愛日小学校で大切に守られてきたそうです。愛日小学校の同窓生の皆さんが年に1回の曝書(虫干し)などを行っておられるそうです、

    その「愛日文庫を守る会」が春と秋に勉強会を開かれているとのこと。今回は豊田文三郎が開園に力を尽くした「愛珠幼稚園のはじまり」という講演内容でしたので、お邪魔してきました。

    豊田文三郎は、私たちの祖父の祖母の兄。政治や社会福祉の道に進みたかったため家業は継がなかった人物です。

    豊田文三郎の墓碑

     

    愛珠幼稚園は明治13年(1880年)にできた町立の幼稚園です。船場の21の連合町会が豊田文三郎や瀧山瑄が提唱した幼稚園教育の重要性に賛同してできた幼稚園です。豊田文三郎はこの時27歳「…当連合長会は全国に率先して町立幼稚園を設立し、幼児保育の効果を社会一般に知らしめん」と提案したそうです。

    幼児教育にあたって、積み木をインチから尺に改めて製作したり、有害な顔料で作られていた色紙・千代紙を松屋町筋のおもちゃ屋さんを説得して自ら出資して、無害な玩具や千代紙に作り替えたという話が伝わっています。

    創立当時の幼稚園は今の北浜4丁目にあったそうです。

    まだまだ知らないことがいっぱいあって大変ためになる勉強会でした。(愛珠幼稚園についてはまたの機会に)