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    わが社の歴史番外編 発掘調査②

    道修町で発掘された魚市場跡ですが,高麗橋でも魚市場の存在を示す木簡や魚骨が見つかったそうです。

     

    この発掘調査では、整理箱1000箱を超える量が出土しました。地表面下2.5mで木製品を多量に含む地層が、最終的には地表面下7mまでの地層を確認したとのことです。遺物は江戸初期のものが多く出ましたが、遺構としてはそれよりも昔のものもあり、中世以降整地が繰り返し行われ街が形成されていったようです。

    3000点にも及ぶ木簡には、魚名(かつお・さはなど)の書かれたものがほとんどで、木管と共に出土した道具類には魚を取り扱う際に用いられた手鉤があり、柄の部分には持ち主の名前が書かれていました。

     

    木簡以外には漆椀、箸,シュロぼうき等の生活用品が出土しました。

     

    そして人形の頭や刀、船等のミニチュアが出土したそうです。人形はいろいろなタイプのものがあり、玩具というよりも古代から続く呪い(まじない)に用いられたのではないかと考えられているそうです。

    これらの出土品から魚市場があったと考えられ、その後元和8年(1622年)には新靭町や新天満町へ移転し、(市場の移転は言い伝えられていたよりも後年のことであったのが、出土品からわかったそうです。)そのあとに高麗橋通りには三井越後屋などが店を構え賑わいのある町を作ったとのことです。