Staff tweetsスタッフのつぶやき
わが社の歴史番外編 発掘調査①
今の豊田日生北浜ビルを建築するときに、大阪市教育委員会と大阪市文化財協会による発掘調査が行われました。
1986年(昭和61年)に道修町で発掘調査が行われ、そこと近いことで、中世から近世の遺構が発掘されるとであろうと、先ずは試掘調査を実施したところ道修町に続く遺構が存在することが確認されたために本格的に発掘調査が行われました。
1987年(昭和62年)6月から9月までかかりました。
その当時の資料がなかったので、大阪市文化財協会様にお伺いしてきました。
場所は難波宮の南側。難波宮の広大な土地があって、風が吹いてて気持ちよかったです。広大な空き地とも思える場所ですが、古代の大阪を知る上でも、都市のヒートアイランド対策にも是非残しておいていただきたい場所です。
当時から発刊されている「葦火」という発掘情報などが掲載されている冊子をいただきに行きました。
内部には弥生時代からの出土品が展示してありました。
学芸員の方から説明をしていただきました。
大阪は掘ってみると弥生時代から江戸時代まで様々な時代のものが層になっていて面白いとのこと。
大坂城の周りの初期の発掘調査が行われた頃で、いろいろなすごいものが出土した現場だったとのこと。この発掘がもとになって、多くの論文が書かれたとのこと。大阪城ができる前から賑わっていた地帯だったようです。室町時代の溝が見つかっています。
また、大坂冬の陣のあとのゴミ穴からは元和6年(1620年)元和7年(1621年)の時代がわかる木簡が出て、そのころの茶碗がでました。
茶碗をひとつをとっても、中国製のものや備前、瀬戸はあったが、伊万里焼はまだこの地には流通していなかったとか・・・海外のもの、日本の各地のものが大阪で使われていたことがわかるそうです。
何も知らずに仕事や生活をしているここの地に知らない歴史が埋もれていたのかと改めて思いました。
発掘品については次回ブログにて・・・